なれはき

なれはてのはきだめ

どうして多くの人に見てもらいたいんだろう

 先日、Twitter でこんなこと、呟きました。

 なんでなんだろうなあ……。もっと多くの人に、わたしの存在を知ってほしい。もっと多くの人に、わたしの作品に触れてほしい。もっと多くの人に、認められたい。

 なんでなんだろうなあ……。

 ツイートしたとおりなんですが「数が多かったら、なんなんだろう?」って、たまに思って。

 でもやっぱり、もっと多くの人に、という願望は消えない。

 そしてときおり「数が多かったら、なんなんだろう?」って思う。誰かひとりでもわたしのことを認めてくれて、わたしの作品に触れてくれて、それだけで素晴らしいことなのに。

 それでも、フォロワーが多い人とか、作品にいっぱいいいねや RT がついている人とか、見ると、羨ましくて。

 だから、フォロワー数とかいいね・RT の数とか、非表示にして Twitter してる。

 ほんとうは、気にしたくないのに。すごいなあ、すごいなあ、って、純粋にそう思いたいのに。

 自分には価値なんてないんだ、って、思ってしまうのかな。

 でもじゃあ、そもそも、価値なんて必要なのかな。価値なんてなくたって、生きていけるし、創作できるのに。

 わからないんですよ。わたしは創作でお金を稼いでいるわけではないので、より多くの人に好かれたからといって生活が楽になるとか、そういうことはまったくないのです。なんというか「創作をより多くの人に認められることのメリット」というのが、べつに、ない。

 単にそれ自体がうれしいよね、というだけで。

 じゃあなんでそれがうれしいのか、と言われると、よくわからない。

 なんでこんなことをうだうだ考えているのかというと「より多くの人に認められたい」という気持ちを、できれば持ちたくないからです。だって、そう思ったところで、そんなにたくさんの人に認められることはなく、だから、苦しい。

 それよりも、少なかったとしてもわたしの作品を好きでいてくれる人を、大切にしたいのに。

 なのに、ちょっと気を抜くと「もっと、もっと」って、思ってしまう。だからといって、人にウケそうなものをつくろうとするわけでもなく(というか、人にウケそうなものがなにかはよくわからないし、わかったとしてもつくれない)。

 恋人は、ひとりいれば充分なのにね。まあ、今はいないんですけど。でもひとりいれば、もうひとり、さらにひとり、とは、思わなかった。なんなら恋人がひとりもいない今も、それはそれで、まあ、という感じ。

 なんなんだろうなあ。わかりません。

 とにかくわたしは、つくりたいものをつくる。だって、それしかできないから。きっとわたしには、大衆にウケるものを、つくれないから。だから、わたしの作品を、好きでいてくれる人を、大切にしたい。

 ほんとうは寂しいよ、ほんとうは悔しいよ、そう思っちゃうときもあるよ。でも、わたしはわたしであって、わたしでしかないから。しかたないよね。