生きることは、傷つくこと。生きることは、傷つけること。
ときには自分の作品が誰かを傷つけてしまうかもしれない。誰も傷つけないつもりでも、わたしの作品で誰かが傷ついてしまう、ということは、ありえます。
もちろん、作品に限った話ではありません。たとえば Twitter で何気なく、なんの悪気もなく、呟いた言葉が、誰かを傷つけてしまうことも、あるかもしれない。
わたしも他人の呟きに、傷ついてしまうことは、時々あります。その人にはなんの悪気がないのはわかっていても。だからもちろん、その人を恨む気持ちはないのだけれど、それでも傷ついちゃうことは、ある。
もちろんネットに限った話でも、ありません。友人とお喋りしていて、相手の何気ない言動に傷ついてしまう、そういう経験もあります。
そしてきっと、わたしもまた、誰かを無意識に傷つけてしまっているでしょう。
そのことを思うと、とても悲しくなります。傷つけたいわけじゃない。
いい意味で「心をえぐりたい」とは、思います。いわゆる「刺さる」というやつです。でも、それは「傷つける」とは、ちょっと違う気がする。
昔々、ある人に「あなたの言葉は、バタフライナイフだ」と言われたことがあります。わたしは、それがとてもうれしかった。その人の心を刺せることが、うれしかった。
でもその「刺さる」というのは、痛みもあるかもしれないけれど、心地よい痛み、とでも言うのでしょうか。ただただ「傷つく」というのとは、ちょっと違って。
生きている以上、誰のことも傷つけない、というのはおそらく不可能です。それはもう、しかたない。悪意を持って傷つけるのは論外としても。
生きることは、傷つくこと。生きることは、傷つけること。
ただわたしは、誰かを傷つけてしまうことを恐れて創作をやめる、ということは、したくないです。それでも、誰かを傷つけてしまうかもしれない、ということを、忘れてはいけないな、と。
そんなことを、つらつらと、思いました。