夢をかたること
叶えたい夢、ありますか?
わたしには「作家になりたい」という夢が、ありました。
中学生のときは図書室に入り浸って、ひたすらいろいろな小説を読んでいました。そして、わたしもこんなふうに小説を書く人になりたい、と、思うようになりました。
そしてわたしは、高校生になってから文芸部に入りました。文芸部での話は以前にも少し、書いたことがあります。
上の記事でも言及しているのですが、わたしの書く小説は、あまり周りにはウケがよくなかったです。
だから「きっとわたしは作家になることはできない」と、わかってしまいました。
作家だって仕事です。お金を稼がなければなりません。そのためには「売れる小説」つまり「ウケる小説」を、書ける必要があるのです。しかも、作家だけで食べていくためには、それをコンスタントに続けていかなければならない。新しい「ウケる小説」を、つくり続けなければならない。
わたしは、作家になるという夢を、諦めました。諦めたというよりも、もとからなかったことに、しました。
わたしは趣味で小説を書いているだけ。「あなたの作品が好きだよ」って言ってくれる人が何人かいる、それだけでうれしい、しあわせ。作家なんて、そもそも目指してない。仕事にしたくは、ない。あくまで、楽しみたい。
——そんなふうに思っていましたが、もはやそれが本心なのか、それとも「作家になりたい」という気持ちを塗りつぶすための嘘だったのか、自分でもよくわかりません。
そして「数学の研究者になりたい」という、もうひとつの夢のために、大学へと進みました。
わたしは高校生のときにうつ病にかかり、不登校の末に退学していますが、大学にどうしても進みたくて、大検(今でいう高卒認定)をとり、数学科へと進みました。
大学ならきっと通える。高校みたいにクラスがあるわけじゃないし、みんなが数学をやりたいと思って、志を同じくして集まってくるのだから、きっとうまくいく。
そんなふうに思っていましたが、とてつもなく甘い考えでした。
まず、少なくともわたしの入った大学は、高校の延長線上にあるような学校でした。わたしの所属する数学科は3つのクラスにわけられ、それぞれにいわゆる「担任」のような役割の教員まで、ついていました。
そして、数学科に集まってきているのは、数学を勉強したい人ばかりではありませんでした。
「とりあえず大学には行っておこう」という人はかなり多くて、たまたま選んだのが、あるいは、入れたのが、数学科だった、という人たちが、けっこういました。
反対に「ガチ勢」とでも言いましょうか、ほんとうに数学をやりたくて入ってきた学生の本気度は、わたしのそれとは比べものにならないほど、すごかった。
わたしは自分の気持ちの半端さを見せつけられているような、そんな気分になりました。
「理系ならきっとコミュニケーションの苦手な人が集まってきているだろう」などという偏見も打ち砕かれ、友だちもうまくつくれず、大学でもまた不登校のような状態になっていました。
なんやかんやあったのですが、自分でも不思議なことに、4年でなんとか卒業することは、できました。
ところが、わたしは就活をまったくしていませんでした。
- そもそも卒業できるのかが危うい。
- こんな精神状態ではどこも雇ってくれないだろう。
- 万が一どこかに受かってしまったら、入社して少ししてから問題を起こしてしまうかもしれない。その方がかえって迷惑だ。
- というか、上記のあれこれは言い訳で、ほんとうは大学院に進んで、研究職につきたい。
このような考えから、就活をまったくせずに、院試の勉強をしていました。
そして、院に、落ちました。
内部進学であれば、できたかもしれません。ですが、わたしは学内の人間と揉めていたので、どうしても内部進学はしたくなかった。
そして、外部進学もできなかった。
就活をせず、院にも進めず、けれど大学を卒業できてしまった、いわゆる「ニート」が誕生しました。
院に進めなかった悔しさ、仕事をしていない罪悪感。いったいこれまでの人生はなんだったんだ。わたしは荒れ果てていました。自殺を図ったことも、あります。
でも、生きています。未遂に終わったからです。
ネットの掲示板に、思わず自殺未遂のことを書き込んだら「死ぬ気がないからだろ、構ってちゃん」とアンカーありでレスされて、ものすごく悲しくなりました。自殺未遂をした人が集まっている「板」だったので、基本的にそういった否定的なコメントはなかったのですが、なぜかたまたまわたしの書き込みには、そんなレスがついて。
わたしは二週間に一度、精神科に通いながら、だらだらと日々を過ごしました。正直、どうやってここまで生きてきたのか、ちょっと思いだせないです。
ただ、創作はずっと続けていました。べつに仕事にしたいわけじゃない、趣味でやってるだけ、と、自分に言い聞かせ続けながら。
そしてある日、文芸部の後輩(とはいっても、年が離れていて、同時期に文芸部に所属していたことはありません)が、作家デビューしたことを、知りました。
なぜか、素直に祝福できなかった。
……いや、なぜか、もなにもありません。羨ましくて、妬ましくて、そして、そんな自分がひどく醜く思えて、いやでいやで、たまらなかった。
「べつにわたしは作家になりたいわけじゃないのに、なんでだろう」と、不思議に思いました。「わたしだってもっと認められたい」という承認欲求なのか、と、思いました。
もちろんそれもあるのだけれど、けっきょく、わたしはやっぱり「作家になる」という夢を、諦めきれていなかったのです。
そして「作家になる」という夢を叶えた人が近くにいる。しかも、わたしよりずっと若い。
若いからなんなの? とか言いながら、年齢は気になってしまう。デビューは若いほうがすごいような気が、してしまう。
「わたしがもし今後、作家デビューしても、あの人よりもデビューの年齢は遅いんだ」なんてことまで、考えていました。
そうやって思いかえせば、めちゃくちゃ「作家になりたい人」なのですが、当時のわたしは、必死に自分で自分をいなしていました。
いまさら、遅い。
どこかに、そんな気持ちがありました。もう今からデビューしても、遅い。今から作家に万が一なれたところで、もうすごくない。
どうして?
あの人のほうが、すごいから。
こうやって書いてみると、ほんとうに馬鹿みたいですね。わたしはずっとこんなことで、悩んでいたのか。
デビューの年齢なんてどうだっていい。若き才能も若くない才能も、どっちも素晴らしい。比べる必要なんてない。
あの人はすごい、それは間違いない。でもわたしだって、すごい。ここまでがんばって生きてきた。
比べなくていい、比べるものじゃない。そもそも、比べようなんてない。
でも、小さい頃から比べられ続けてきたのだから、ついつい比べてしまうのもまた、しかたない。そう思いませんか?
今なら、はっきりと言えます。作家になりたい、と。叶わなくても、恥ずかしくない。悔しいかもしれないけれど、恥ずかしくは、ない。
そして、夢をかたる人を馬鹿にする人には、なりたくない。
もしかしたら、諦める日がまたくるかもしれない。もしかしたら、叶わないまま死んでしまうかもしれない。
それでも、いいんです。
夢を見ちゃいけない人なんて、いません。誰だって、夢ぐらい、見ます。
夢をかたっちゃいけない人なんて、いません。声が大きいといって馬鹿にしているのは、むしろ「自分は恥ずかしくて夢を口にできません、夢を口にできるあなたが羨ましいです」ということでしょう?
そういうことに、します。馬鹿にされたって、それで死ぬわけじゃないです。もちろん、夢のために頑張るかどうかは大事だけれど、すべてが努力次第なわけではありません(ここらへんについては、また別の記事で触れたいと思います)。
夢を口にするのもしないのも、その人の自由です。でも、馬鹿にするのはやめませんか。そしてもっと、夢を、かたりませんか。
わたしには「作家になる」の他にも、もうひとつ、とてつもなく叶えたい夢が、あるんですよ。
聞いてくれますか?
書きますね。
書いちゃいますね。
ありがとうございました。「夢、叶えてしまった」って、いえるように、一緒に走りましょう。